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第21回図書館総合展 フォーラム
地域資料とデジタルアーカイブのミッシングリンク
-図書館の底力への期待-

日時:令和元(2019)年11月13日(水)15:30~17:00
場所:パシフィコ横浜アネックスホール 第2会場
主催:TRC-ADEAC株式会社、株式会社図書館流通センター

登壇者:福島幸宏 東京大学 大学院情報学環 特任准教授
   :梅林秀行 京都高低差崖会崖長
 司会:田山健二(TRC-ADEAC株式会社 代表取締役社長)
下記記録のPDFファイルはこちら(PDFファイル)をご覧ください。


フォーラム概要(田山)

     TRC-ADEAC主催のフォーラムは、今回で8回目になります。始めた当時は8年も経てばほとんどの図書館でデジタルアーカイブを行っているだろうと予測していましたが、当時とあまり状況は変わっていません。この原因はどこにあるのか、福島先生に解き明かしてほしいとお話ししたところ、「ブラタモリ」で有名な梅林さんに声をかけてくだいました。

     京都の図書館でデジタルアーカイブを推進してきて4月からは東京の大学で教鞭をとっている福島さん、そして、デジタルアーカイブのみならず図書館のヘビーユーザーでもある梅林さん、お二人からそれぞれの立場でお話しいただきます。

対談(福島・梅林)

    福島)
     ご紹介にあずかりました福島です。よろしくお願いします。
    今日は、図書館の超ヘビーユーザーであり、かつデジタルデータを触りまくっている梅林さんのお悩み・ご不満・喜びをお聞きして、会場の皆さんと共有したい、もしくは、次のアクションを考えて梅林さんにも動いていただく状況を作りたいと思っています。

    梅林)
     改めましてこんにちは。梅林と申します。今日は図書館やアーカイブシステムについての「事例」として出演しました。
     京都で地図を描いたり町を歩いたりしています。「ブラタモリ」という番組に出演していて、今年の西陣編で8回目になります。同時並行で「歴史秘話ヒストリア」という番組にも出演しています。その集大成として、『京都の凸凹を歩く』という本を発刊して、おかげさまで京都ガイド本大賞も頂きました。今日の僕の肩書が「京都高低差崖会」というブラタモリでよく知られるようになってきたものなのですが、ブラタモリの案内人として登場する際にNHKの人に「肩書が欲しい」とお願いされたのがきっかけです。学芸員でも大学教員でもない人間が案内するのが番組で初めてのケースだったようで、その時に作ったのが「京都高低差崖会」です。今や、研究機関に所属しなくても、例えばデジタルアーカイブを使って、インディーズでも活動できるようになっている。
     例を挙げると「近代京都オーバーレイマップ1」のような、大正11年の都市計画基本図や、福島幸宏さんが発掘・紹介に尽力された「京都市明細図」という住宅地図が高精細で表示できるシステムです。図書館関係者の皆様はよくご存じでないかと思います。こういったものを活用して、「ブラタモリ」以前から町歩きの資料を作っていました。 これが最新作です(スクリーンに梅林さん作成の資料が映る)。明智光秀が主人公の来年の大河ドラマ「麒麟がくる」に備えて、NHKも近畿地方の自治体も目の色を変え鼻息を荒くしています。その一環で、長岡京市という自治体にある勝龍寺城という細川ガラシャが嫁いでいった城の遺構を歴史的に歩こうというイベントを実施しています。それに向けて凸凹地形図の上に戦国時代の勝龍寺城を復元配置した地図を作っています。
     ベースとなるのは、たとえば「カシミール3D」という、国土地理院が発行している標高の数値をもとに3Dグラフィック化するオープンデータのアプリケーションです(スクリーンにパシフィコ横浜周辺の3Dグラフィックを映す)。こういった地図の上に様々な歴史的情報を独自にレイヤーで貼り付けていきます。
     一方で、歴史的資料も多く使っています。よく使うのが、江戸時代中期から後期に発行された観光ガイドである名所図会です。江戸時代に発行されたモノクロの図版をPhotoshop(フォトショップ)で読み込み、Illustrator(イラストレーター)2で着色しています(スクリーンに嵯峨の天龍寺の名所図会が表示される)。
     着色したことで、この名所図会の手前側・正面・奥側の境目に雲が描かれていること、それにより江戸時代人が前・中・後というかたちで視覚情報を構造化していることがわかります。写真芸術とは違う絵画芸術ならではのあり方です。それが、江戸時代人の感覚器官ではモノクロでも区別できたのです。現代のわれわれはその感覚器官を持ち合わせていないので、着色することで江戸時代中期に描かれた歴史的資料の特性が発見可能になります。
     このように歴史的資料を独自に加工して、活用して、一般市民と一緒に共有・交流してお互いのリテラシーを耕していくというところが、ブラタモリという番組と相性がいいのだと思います。
     ブラタモリがどんな番組かというと、「京都は~と言われている」というコピー&ペーストの情報に基づかないのが特徴です。ランドスケープや地形、建築といった不動産・物質資料として我々の文化をとらえなおし、結果、現在の街並みに至る成り立ちを考えていこうという、端的に言って考古学の姿勢に基づいています。そういった手法と歴史的資料をダイレクトに用いる(梅林さんの)姿勢の相性が良かったのだと思います。
     「天龍寺は~と言われている」ということばではなく、江戸時代中期に、天龍寺はどのように認識されていたのかを資料の加工を通してつまびらかにしています。
     僕の活動、あるいはブラタモリの活動は、一つにはデータの活用に尽きるといえます。ただ、それにあたっての難点もあります。
     今お見せしているのは勝龍寺城の大正11年現在の地図です(スクリーン上に梅林さんのPC画面が表示される)。元々はモノクロの画像に着色し、塗り分けることで、字(あざ)の境界線で植生が変わっていることがよくわかるようになっています。こうして明らかになった直線的な区画が発掘調査によって「堀」の跡であることが分かりました。どうも、山崎の合戦の時に使用された大きな塹壕の痕跡であるようです。天下分け目の戦いの際の軍事施設が、大正11年時点で字の違い、あるいは植生の違いによって既に現れていた。それが2010年ごろの発掘調査で追認された。このことをすぐ皆さんと共有したいがためにこういう地図を作って塗り分けていくわけです。
     ただし、これが大変な作業なのです。なぜかというと、この地図のベースとなっている大正11年の都市計画基本図が、ダウンロードできないのです。ただ見せてくれるだけ。膨大なスクリーンキャプチャーをして、Photoshopの上で1ドット単位で貼り合わせて、半日作業を終えたところからやっと活用が始まる。つまり、デジタルアーカイブというものでは活用が想定されていない。何のためにあるかというと、たぶん閲覧でしょう。デジタルアーカイブすらやっていない機関も多いです。
     「デジタルアーカイブを構築して資料をオープンにしている」といっている機関の多くが、ダウンロードもさせてくれない。ではどうするかというと、僕はよくカナダのブリティッシュ・コロンビア大学図書館のウェブサイトに行ってデータをダウンロードします。
     なぜかといえば、日本の大学図書館や博物館のデジタルアーカイブは閲覧のみなのに対し、アメリカやカナダの図書館のデジタルアーカイブではダウンロードボタンがきっちりついている。そこで高解像度のJPGやPDFで画像データをダウンロードできます。つまり、資料というものの捉え方が違う。少なくとも、僕の望む資料の捉え方は、資料を手元に置いたうえで、自分の調査・研究に役立てられるというものです。閲覧のみのシステムではそれができない。可能にするなら夜なべでスクリーンキャプチャーすることになります。
     ですから、僕という存在を通して、現状の成果と課題を皆さんの前で白日の下にさらされながら分解していきたいと思います。最後に何か「これぐらいはやっておこう」というところを皆さんとの間で合意が取れたらいいなと思っています。ごあいさつに代えて発題しました。ありがとうございます。

    福島)
     ありがとうございました。僕と梅林さんは京都の町歩きのガイドグループでご一緒したのが最初で、2017年の秋に京都で行われたアーカイブサミット3でもお願いしてお話をしていただきました。それから2年たったわけですが、アーカイブサミットで利用者の視点から「足らず」のところを問題提起していただいてから2年で、梅林さんの目から見て、進展はあったでしょうか?

    梅林)
     あるなし両方ですね。「ある」と言いたいところで最初に申し上げると、京都大学の附属図書館でデジタルアーカイブ4がバージョンアップしました。江戸時代の京都研究・都市史の一級資料として「洛中絵図」というものがあります。江戸前期の京都を、中井家という今でいうとゼネコンにあたる家が測量した図面を、宮内庁と京都大学が持っています。2年前のアーカイブサミットの時点では出し渋っていて、僕は「なんで出さないんだ」と気炎を上げた覚えがありますが、その直後デジタルアーカイブがリニューアルされダウンロードボタンがつきました。
     ただ、ダウンロードした画像は解像度が低く、町名が判読できない。過激なことを言いますが、町名の判読できない地図は地図ではないです。でも、それが今のデジタルアーカイブの最前線の事例なんです。2年たって進展したところと相変わらずなところが両面ある。共通項としていえるのは「歴史的資料を利用者が手元に持ち帰って調査研究に役立てる」という発想が根っこからないということです。
     もう1つ文句または思い出話としてお話したいのが、福島さんの前職場の京都府立図書館で、つい先日、町絵図のスキャンをしたいと図書館のカウンターでお願いしたら大パニックになったことです。「上に掛け合ってきます」と言われて10分待ち、最終的には「今日はパソコン持っていますか?」と関係ないことを言われてしまった。
     2つの意味で頭を抱えていて、1つは、なぜ図書館でスキャンができないのかという図書館側の問題。もう1つは、これまでの利用者はだれもスキャンを申し出なかった、利用者はいったい何をしているんだ!という怒りです。2019年現在、論文なり本なりアマチュアの研究でも、コンピューターやスマートフォンやタブレットがある状況で、なぜ紙の資料を紙のままで使おうとし続けていたんだろうという利用者に対する憤懣やるかたない思いです。2019年になって初めてスキャンさせてくださいといったのが僕だったようです。おかしいじゃないですか。ですから、成果と課題を比べたら課題の方が圧倒的に多いですね。何とかしたい。

    福島)
     ありがとうございます。こういうお話なので、一応ディフェンスをしなければと思います。京大の附属図書館の件は、僕も後で知ったところもあるんですが、2年前の段階でちょうど準備している段階だったようです。IIIF5とかも新たに導入したので、かなり使い勝手が向上しました。ありがたいことに、大学図書館の中では京大のものが周りの環境含めてよくなってきている。ただ、いまから見れば取組の順番がちょっと逆になっていたところがあったかなと思います。というのは、梅林さんが今日のおはなしであえて言わなかったところだと思いますが、資料を使いやすくするということについては、画面やコンピューターの仕組みの前に、「この資料はここまで使っていいです」という全体としての仕組みが基本的に先に考えられるべきです。例を挙げればパブリックドメイン6の確認のようなことです。著作権がある資料は著作権の範囲でやるべきなんですが、明確に著作権が切れているものについて、仕組みとして明示することが先です。コンピューター界隈の「オープンデータの五つ星7」でも一番先に仕組みの話が来ます。「オープンで使える」という規約が最初にきて、その後でダウンロードのしやすさなどの話が続いてくる。
     京大の場合は、システムを変えて、後から規約等を切り替えてオープンな方向に振ったので、まだその辺りが一般的にならないといけないなあというのが1つあります。
     「東寺百合文書WEB8」というのをご存知の方はいらっしゃいますか?…ありがとうございます。頑張ってきたかいあって3割くらいの方が手を挙げてくださいました。Library of the Year 2014の大賞を頂いた仕組みです。日本の歴史資料のオープン化とダウンロードしやすい仕組みを先導したものです(スクリーンでwebページからローカル環境に画像をダウンロードして開く様子を見せる)。これぐらいの解像度だと繊維の状況なんかも確認できて、非常に読みやすい資料になっています。
     これをやった後の5年間で色々と状況が変わってきているのですが、とはいえ、ご指摘のように、標準になっているかというところは心もとないところがあります。特に絵図・絵画系でまだ弱いです。また、発見のしやすさというところで、この2月にできたジャパンサーチもあって多少はファインダビリティー(発見性)が向上しつつあります。利用規約についてもジャパンサーチの場合は「教育目的で使用可能」「二次利用で使用可能」などが〇×で細かく表示されるまでには改善されています。変わってないところもたくさんあるんですが、ちょっとずつ変わってきていると思っています。
     もう一つ、スキャンの問題についてです。どちらの図書館でも一点物の資料(流通印刷物にならない資料)をお持ちだと思いますし、また、僕の経験上確信をもって言い切れますが、どの図書館にも未整理の資料があるはずです。たまに一点物の資料がOPACに載せられていたりすると、コピー以外の手段で取りたい、というご要望はきっとあります。都道府県立図書館以上のレベルなら、郷土資料のところではだいたいカメラの持ち込みまでは行けている気がします。スキャンの持ち込みはアメリカの公文書館ではかなり類例があります。アメリカの国立公文書館では、調査する側がスキャンを持ち込んで机をいくつか占領しガンガンスキャンすることも可能です。フリーダム過ぎて資料の紛失が起こり、徐々に資料の扱いが厳しくなってきているという状況もあるようです。ただ、資料は著作権に配慮しつつもデジタルで撮るものだ、というのが前提の運営になっています。それは多分アメリカ社会の市民が要求しているからだと思います。
     また公開資料・機関の数が増えていない問題もあります。ざっくりとした問いを投げますが、その辺りは梅林さんの観点からはなぜ増えないのかと思われますか?

    梅林)
     所蔵機関を含めて所蔵者が出し渋るところが主観的に多いですね。なぜかはわかりませんが、司書の方も所蔵機関の方も資料ではなく「お宝」と思っているのかなと思います。頭では著作権がもう切れているというのはわかっているんでしょうが、姿勢としてはできるだけ外に出したくない、コントロールの利く範囲で出したい、そんな気もします。

    福島)
     おそらく、皆さん資料を出したいとは思ってらっしゃると思います。出す手段について、なかなか正解がない。もしくは資金、予算の逓減の中で新しいアクションがとりにくいというのがかなりあるかと思います。
     そこで、いろいろなところで取り上げている一つの事例をご紹介します。岡山県の津山市という自治体はFlickr9(フリッカー)という外部のプラットフォームを使っています。いろいろと制限があったり、サイトの言語が英語であるがゆえの苦労があったりますが、Public Library of Tsuyama City10というページを作って、津山市の広報課さんが撮った写真をガンガン上げています。つねに最大のコストは人件費ですので、ただで、とは言いませんが、現状システムの負担はほとんどない状態で使えています。皆さんのなかにも個人レベルで写真の共有などされている方もいらっしゃると思いますが、ややこしいことを考えなければ簡単に使えます。観光客を呼び込みたい、津山市民に市自体を愛してほしいという戦略もあってこういう出し方をしています。
     デジタルアーカイブについて、精度・正確性を上げることは一方で非常に大事ですが、持っている資料を先に出してみるというのは、案外できてしまいます。通信環境の整備や端末の画像処理能力の向上といった、デジタルアーカイブにかかわる全環境が日々良い方向に向かっているのでそういうことに取り組むのが楽な状況になっています。
     そこで、何が悲しくて利用数に直結しないと思われるデジタルアーカイブをやらないといけないのか、ということに立ち至ると思います。僕のようにアーカイブや文化資源について考えている人間としてはいくつか理屈はつきますが、梅林さんから見たときに、各図書館が所蔵物を公開することの意味は何だとお考えですか?

    梅林)
     図書館の役割ですね、ざっくり言うと。利用者からすると図書館に行くしかない資料というのはあります。逆に言うと、図書館は「無料の貸本屋さん」じゃないといえるということです。僕が図書館に行く最大の理由は、自分では買えない本を見に行き、利用するためです。稀観本であったり、大型本であったり、町絵図集であったり、刊行本で構わないので歴史的資料がアクセスできる形であるということが1つだと思います。
     もう1つは、図書館を通じて得た資料によって、地域がどう変わっていくのかな、という試みが僕の中にあるんですよ。僕は今、貧困問題のNPOに本籍を置いています。自分の著作である『京都の凸凹を歩く』という本の中でも、マイノリティがよく出てきます。例えば、代表的な例でいうと、ブラタモリの復活初回で取り上げた御土居というところで大きく取り上げたテーマは、御土居という都市の城壁周辺には、被差別民が多く配置されていたということです。「えた」や「かわた」、「非人」と呼ばれていた身分・人々です。それが江戸時代後期には粋なお兄さんとして錦絵になったりもしています。かつては人権教育という枠の中で、そういう人々に対する理解をあげようということもありましたが、一方、今、行政の人たちと話していて、企画として進行しているのが、地域の歴史にどう共感していけるのかというところになっています。
     具体例として、今京都駅の南側で再開発事業が始まっています。なぜかといえば、駅の近くなのに開発ポテンシャルが高いからです。日本最大の被差別部落があるからです。結果、東京などから資本が押し寄せてきて大学を作ってしまったり、高級ホテルを作ろうとしているんですよ。典型的なジェントリフィケーションの一現象と思っていただけたらいいと思います。一方で住民は違う思いを持っています。「ここは我々の住んでいた地域だ」「何々という定食屋がある」「靴屋が多い地域なんだ」といった具合です。ですから、行政の区役所レベルで住民の人たちと一緒に京都駅の南側を歩こうという企画が進行中だったりします。
     その際、京都の町絵図を見ようにも、公開されていない。公開されている場合でも、被差別部落の名前が塗りつぶされていることがあります。特に、一般の書店から出ているものはほぼ塗りつぶされています。そういった状況にたいして、現地の方は大体悲しい思いをされています。自分たちの先祖がいなかった扱いになりますし、もう一つ、現在進行中の問題が「なかったこと」という扱いにされるんですよ。
     ではどうするかというと、カナダの図書館に行くことになります。加工されていない地図をダウンロードしながら、我々の世界がどのようないきさつで成り立っているかを、由緒来歴からでなく、実際の歴史的資料を並べながら考えていく。我々の社会はもうそこまでやれると思うんですよ。つまり、これまで教科書でしか見たことのなかった資料を一般市民レベルで活用し並べあいながら考えていく。そうした際に、本来なら図書館がプラットフォームになってほしいと思いますね。

    福島)
     今のおはなしについて、業界に長くいる方の中には『米子市史』の絵図編の件を覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。僕は元歴史屋なので20年ほど前にそういう事件があったのを覚えています。米子市が刊行した近世の絵図で差別にかかわる表記を塗りつぶしていたという問題がありました11
     博物館や図書館の展示の時には少し工夫をしていますが、真正面から取り組む場合もあって、例えば絵図の場合、大阪の人権博物館が20年ほど前に作った被差別地名が載った絵地図の展示をやったことがあります。その時は地域の人ときっちりお話をして、出してもよろしいとなったものを出し、図録もつくった。人権博物館が頑張って仕事をした成果として、これに載っているものは大体展示してもいいと博物館的には合意ができたと考えています。ただ、これがデジタルになったときにどうするかというのは実はあまり解決されていない。
     古い地図の表記については、デジタル化・公開に取り組む人々の間で課題になっています。外国では日本の絵地図のそうした問題は検討課題に上がらずに公開されているので、使えるものがたくさん出てくる場合がある。この問題には両面あって、地域として消されてはまずいという意見と、地域の総意として触れてほしくないという意見のどちらもあって、そのあたりの課題は常に突き付けられている。ただし、この課題は今後議論していくべきものだと思う。今まではごくごく限定された場所では議論されていたと思うが、もちろんデリケートな問題なので個別の図書館ですぐ対応できるかという問題はあれ、博物館や図書館、アーカイブスの課題として、デジタル化がかなりの段階まで来た今取り上げられていくべき課題だろうと、今の話を聞いていて思います。
     数が増えないという問題については、図書館が社会に開かれた図書館であろうとすれば、図書館の資料で行われた活動によって社会の見方が変わるとか、社会の状況が改善されるというのは一つの大事な話になってくると思います。そういう意味では、デジタルアーカイブも、図書館自体や博物館と同じように、それをやったことでアクセス数が爆発的に増えるといったような目に見える変化は今まで起きていない。どこでやっても期待したほどは増えない。ただ、特にコアな資料であればあるほど、いつでも参照できるようにしておいて、使った人々の活動で地域や社会が良くなれば成功と言える。それをどう計っていくか、把握していくかが問われると思います。梅林さんの関心では貧困を課題にするNPOにかかわっておられるので、高低差という課題を通じた中でそういった成果が出てくると思います。

    梅林)
     マニア的興味によって搾取されたくない領域はだれにでもあるじゃないですか。我々の世界は動物園ではない。ブラタモリをはじめとするコンテンツによって町歩きは爆発的にブームになったが、動物園を歩くように町を歩く活動が増えてしまっている現状もある。一方で、高低差・町の凸凹というテーマは、所得格差の開きがある町、子供・お年寄り・女性・男性・そうでない方も含めたくさんの人がいる町を歩くわけです。つまり、社会課題に触れない町歩きは虚偽だと思っているんですよ。そこに何の価値があるのか。

    福島)
     今の考え方は非常に大事で、社会課題に触れない図書館活動とは何かという問題だろうと思っています。格差を埋めるために図書館は存在する。デジタルアーカイブは古い貴族などの一部の人しか触れられていなかった資料・データを今公開しているというものでもあります。いわゆる日本の戦後型図書館運動もそうだったわけです。『市民の図書館』は高らかにそれを謳いあげていた。当時の状況の中で活字流通本を使った最善の社会改革の手段だったはずです。Libraryとは本来そう言うもの。
     梅林さんのメッセージではおそらく、皆さんの機関がお持ちのユニークな資料を社会に届けていくことで、社会の課題を可視化していく、あるいは自分たちの課題を社会に突きつける、また一方で、自分たちの地域を社会に向かって宣伝することになる。そういう意味で僕は観光を排除しません。観光にもいろいろなフェーズがあって、住民の人にも利益になるような観光をしていただいて地域にお金を落としてもらうために、図書館の資料を上手に公開していくことが非常に大事なことだと思います。

    梅林)
     そういった意味でのプラットフォームでもあると思います。福島さんのおっしゃったことは端的に言えば文化資本の問題ですよね。世代間で継承される様々な知識・技能について各家庭がプラットフォームになりにくい現状であるならば、図書館がその可能性です。
     自分の場合は、人生の転機として小学校5年生のある一日に、区立図書館と初めて出会った。その日から、大学に進学して東京に出るまで、毎週末図書館にいました。結果今の自分がはぐくまれたという思いがある。
    皆さんもそうでしょうが、2019年現在のそれぞれの立場というのは恐ろしく流動的です。明日をも知れぬ世の中で、家族に病気があったり、お金の問題があったり、その中で生き残るには自分が何を元手として持っているか。これは自己責任論ではなく、生き残り方の話です。自分の場合はかつて通い詰めた図書館での日々が今の自分の財産・武器になっている。もしかしたらそのあたりから居場所としての図書館が開かれるのかもしれない。ただ、その居場所ではあくまで利用者に対して本が開かれていないといけない、ただの空間ではいけないと思います。
     一方でやはり、僕はデジタルアーカイブの何よりのメリットはアクセシビリティだと思います。図書館に行く時間がないというのが1つ、もう1つは「図書館の資料を紙でコピーして家に帰ってきてスキャンする」という時間が全く必要と思わない。今や、家あるいは職場の作業場で自分の使いたい資料を扱うようにできるし、やらなくちゃいけないと思います。でも図書館の人たちはなぜかやってくれないんです。そのため、そこにすごくストレスを感じます。

    福島)
     法律上の規制もあってコピーの制限もある。だけど、著作権の話にもなってくるんですが、本気で考えて今の状況に合わせて仕組みを変えていけるように図書館界全体として考えていく必要がある。図書館協会だけがその主体である必要もなく、今フォーラム会場にお集まりの方々から仕組みを変えていくというやり方でもいいような気がしています。
     2人で延々としゃべってしまっても仕方ないので、指名になってしまって申し訳ないのですが、ここでフロアにいる方に意見を伺いたいです。最初の話題に戻りますが、そもそもデジタルアーカイブは本当に広める必要があるのかというところから、この方面に強い古賀さんにお話しいただきたいです。

    古賀)
     天理大学の古賀と申します。別の点についての話になるのですが、デジタルアーカイブの問題は図書館関係者だけで話し合っていいのか、梅林さんがおっしゃるように教育の格差を埋めることを考えるならもっと多くの人たちを巻き込んでいく必要があるのではないかという思いがしています。
     つい先日関西大学で行われた情報ネットワーク法学会という催しで、城所(きどころ)先生という弁護士の方が「日本ではなぜ著作権改正が進まないのか」ということについてお話をされた。今後の戦略をどうすればいいのか、というところまでお話を頂いたのですが、議員を動かさないと現実は変えられないだろうということをおっしゃっていました。文化庁に著作権を守りたい側の利害が集中しがちであって、ユーザーの声をより届けるための方策を考えないといけないということでした。
     そういう点で、デジタルアーカイブを広める必要があるかということよりも、もっと根底の課題として貧困の解消、文化資本の格差を埋めるためにデジタルなものを面白いと思える機会を増やしていく、幅広いことを考えていく必要があると思います。ブラタモリは私も見ていますが、それを見てただ面白いなと思うだけではなく、こういう風に町を見られる、こんな資料があってそれを見られるということをアピールできればいいなと思います。ただ問題は、議員の方にどれだけ期待できるかというところで、それについては何とも言い難いですが、そういったこともデジタルアーカイブでは可能かということを考えていく。もう一つは、図書館総合展の場だけではなく、貧困などの社会問題とかかわる人々とも集まって議論されることも必要になるのではないか、というのを述べさせていただきます。

    福島)
     無茶ぶりに応えていただいてありがとうございます。古賀さんからもブラタモリの話題が出ましたが、この番組が可能になったことについて、梅林さんから補足をお願いいたします。

    梅林)
     ブラタモリは京都の御土居という地域を事例にして、2015年に復活させようということで話が始まりました。なぜ御土居かと言えば、いわゆる「はんなり」じゃない京都をやりたかったということです。「極上の京都」じゃない京都。つまり、マーケットが大事な一方で、実際に我々が住む街をどう歩くかというのがブラタモリの面白さだと思うんですよ。
     そういった京都を考える格好の題材がデジタルアーカイブです。京都の場合は大学が多いので、デジタルアーカイブが比較的充実している。ブラタモリは京都だからこそリスタートできたところが大きいと思います。例えば僕が大好きな佛教大学のデジタルアーカイブ12に行けば、非常に高い解像度の「洛中洛外図屏風」をJPEGダウンロードできます。
     (スクリーン上で京都市埋蔵文化財研究所のページを映す)京都市埋蔵文化財研究所13という各都道府県にある埋蔵文化財センターの京都版があるのですが、ここが発掘調査の報告書を逐次PDFで出してくれています。さらに現地説明会資料を逐一出してくれているので、「物質資料として町を見たい」と思ったときに、考古学の手法で蓄積されたデータへのアクセスが極めて容易なんです。それに加えてポータルがあり、とりあえずここにアクセスすればデータをそろえられるという強みがある。サイトの作りは昔のサイトかというぐらいにシンプルで何も動的なコンテンツはなく表のように順番に並んでいるだけ。でもそれで十分なんです。あとはPDFを載せておけばユーザーが何とかします。そういった環境が京都には比較的充実していた。結果、ブラタモリがリスタートするきっかけが与えられたと思います。

    福島)
     ありがとうございます。これは他の地域でも同じで、まずデジタルアーカイブで大枠をつかんで番組の企画や素材にして、そうすることで再度デジタルアーカイブの利用に結びつくという循環ができているという気がします。
    先ほど古賀さんがおっしゃったことで、著作権周りの議論を聞かれた方はよくご存じだと思いますが、直接的な利益団体による議員・文化庁へのロビイングがある一方、そうでない一般国民はそういった働きかけをしてこなかったし、図書館界も国立国会図書館さんにだけに任せていたところがあって、弱かったと思います。私も図書館現場で「なぜ半分しかコピー出来ないのか」という利用者の声を日々聞いていました。著作権の決定過程は我々と別の世界と思いがちですが、違います。図書館は例外事項でコピーができているわけで、この問題とは強い関わりのある当事者です。もっと使いやすくしていき、せめてアメリカ並みにできるようにしていきたい。交渉で著作権法は変わっていくし、いまの仕組みは絶対ではないので、そういった点は変えていかなければならないと思っています。
     もう1つインターフェースも含めたデジタルアーカイブの使いにくさの問題の、焦点あるいは原因について、梅林さんはどのように想定されていますか?

    梅林)
     繰り返しになりますが、ダウンロードしてローカル(自前のPC上)にデータを置けないというのが使いにくさの筆頭ですね。インターフェースはどうでもいいくらいです。大事なのはダウンロードボタンと規約を目立つところにおいてほしいということです。それさえすればアイコンも画面の装飾も一切なくていいくらいです。

    福島)
     あえてこの場にいる図書館員の方に聞いてみたいんですが、「図書館資料を使えている」でしょうか。僕の経験では、「こんな資料があるのか」「こんな使い方ができるのか」と利用者の方にすごく驚かされることはあった。それ自体はもちろんありがたい話なんですが、一方で自分たちが図書館の資料を使えているかというのは問いたいと思います。
     紙資料の段階でも、そこにしかない資料を探して他所の図書館に探しに行って、利用するために工夫したり交渉したりといったことを普段からできているでしょうか。
    次に、デジタルアーカイブを使って、梅林さん並みにやれとは言いませんが、物事を組み合わせて資料を使って新たな価値を創造するということができているでしょうか。できていないとすれば、それが原因で今までの制度の枠組みに安住してわれわれが使い勝手の悪さを放置してきたということかもしれない。図書館を読書のために使うというのが主な使い方のように観念されていますが、それは今後とってかわられていく可能性が大きいです。調査研究型に振り切れとは申しませんが、人々の情報行動が変わっているのは皆さんご存知の通りだと思います。紙資料であれデジタル資料であれその複合であれ、図書館の資料を使って、他人に見てもらい批評してもらえるような新たな価値を作るという使い方が図書館の世界で常識となっているか。これは皆さんに是非議論してほしいテーマです。
    自館の資料ではない方がいいと思いますが、図書館資料を他の利用者と同じ条件で使ってみて、コピーに関する交渉のつらさや写真を撮れない悲しみを実際に体感していただきたい。そのあたりの利用者への理解が少し弱いように思います。読書のために図書館を使うのではなく、複数の資料や文献を組み合わせて新しい価値を作るという図書館の使い方、「深い意味の利用」などという言い方もしますが、自分はこれが図書館資料の「活用」だと思っています。これを是非やってみていただきたいです。
     使いにくさという点では、デジタルアーカイブが長持ちしない問題を研究している方が会場にいらっしゃるので話を聞いてみたいです。デジタルアーカイブはずっとあるものとは限らず、つぶれることもあります。それについて研究されている小村さんにお話しいただきます。

    小村)
     同志社大学大学院でデジタルアーカイブの研究をしている小村と申します。デジタルアーカイブが長持ちしないということ、要因があるとすればそれは何かということで、当初から予想していた要素としては、「予算」と「人員」の2つはそこに入ってくると思います。また、実際につぶれたデジタルアーカイブの調査を進める中で、廃止にあたって内外から特に何も反応がなかった、つまり、「ユーザーやステークホルダーの中での存在感や評価」が何もないというのが見えてきている要素ではあります。

    福島)
     誰も騒がずひっそりつぶれるデジタルアーカイブの事例がかなりある、ということを以前お聞きしたように思います。

    小村)
     数百機関に対するアンケート調査を行った際のデータを用いているのですが、デジタルアーカイブを廃止した機関でアンケートに応えてくれる機関が少ないことからサンプル数はあまり多くはありません。つぶれたデジタルアーカイブは存在自体がなかったことにされたり、追跡調査をしたくても追跡できないような存在になっています。

    福島)
     20~25年ほど前に総務省から補助金が下りてきた時期にデジタルアーカイブの最初のブームがありました。その時に「デジタルアーカイブ的なもの」がいくつもできたが、あまり社会にインパクトを与えられず、数年後、補助金が切れた時にバタバタつぶれていった。
    公的機関がデジタルアーカイブを持った時に、扱いが難しいものではあります。つぶれた経験を見知っていることもあり、皆さん中々手を出せていないところもあると思います。ADEACのフォーラムだからこういうことを言う訳ではないが、プラットフォームがある程度集約される形で展開できていると、多少はつぶれにくくなるということは言えるかと思います。
     梅林さんのおはなしの中で利用者側のリテラシーについての話題もありましたが、そのあたりもう少し詳しく伺えますか。

    梅林)
     図書館をどういう人たちが使うか、というところにもあると思います。図書館に来てほしい人たちと図書館に来ている人は実際には当然ずれがあります。端的に言えば利用者にはお年寄りが多いので、僕がいくらデジタル化の旗を立ててもどの程度響くのかという思いはあります。図書館が発信しているメッセージの対象もお年寄りが多いように思います。
     一方、デジタルアーカイブはSNSと相性が良く、Twitterなどを見るとものすごい数のデジタルアーカイブの活用例が転がっています。特に台風とかの災害の場合、ユーザーがデジタルアーカイブから涙ぐましい努力をして浸水域を過去の事例と照らし合わせたり、そういった草の根の画像・事例が山ほどあります。

    福島)
     逆に、ご高齢の方でもデジタルアーカイブを一種の回想法みたいなことに活用できる。例えば、今80代のかたが若い頃はみんな雑誌を読んでいて、雑誌が一種の共通体験だった。当時の現物が図書館に所蔵されているとは限らないが、デジタルアーカイブで見せることで、回想法に利用できる。

    梅林)
     僕の素朴な疑問として、研究者の人たちは図書館を使っているのか?という疑問があります。
    福島)
     研究者は意外と公立図書館を使っています。

    梅林)
     今は『在野研究ビギナーズ』という本も出ていたりします。ポスドクの人たちも含めて、学籍に身を置いて研究を続けることが年々困難になってきていますが、インディーズで調査・研究している人たちが増えていく中で、その人たちが調べ物・資料を取得しに行く一番の施設は図書館。図書館が様々な分野の下支えをする文化資源・社会資源であるということはもうちょっとご理解いただけたらいいと思う。本の貸し借りもありがたい機能ですが、「深い利用」という言葉もあったように、もう時代は変わったと思います。調査・研究に取り組む民間の人々が、公立図書館で寸暇を惜しんで資料をコピーし家に持ち帰ってスキャンをする、そういう時代なんです。図書館にはそういう人たちの救いであってほしいと僕自身のためにも思います。

    福島)
     現場に身を置いていた人間としては、ほとんどの利用者の方は本の貸し借りのような「軽い利用」だが、図書館が図書館として設置されている意味は「深い利用」にあります。それに本当に答えられように日ごろから資料を整理しているというのが1つの理屈立てでしたが、それが急激な社会の変化についていけていないような気はしている。 ここで、今の話を聞いてお思いのことや、ジャパンサーチの次の展開について、国立国会図書館の大場さんに伺いたいと思います。

    大場)
     国立国会図書館に勤めている大場と申します。ジャパンサーチを今担当しているわけではないので、今後の展開について組織として話せるわけではないのですが、今後こうあってほしいという個人的な希望も含めて話をさせていただきます。公共図書館も含めた地域に残っているものを掘り起こせるプラットフォームになってほしいと思っています。ジャパンサーチの一つの柱として、入門者向けにもう価値が決まったもの、面白いとみんながわかっているものをインターフェースを用いて見せていくというのがある。一方で、地域に埋もれているもの、まだだれも価値を分かっていないものを見つけ出せるような仕組みになってほしいと思っています。そのためにはいろいろな機関が持っている資料をデジタル化して発信してもらわないと話にならないので、そのための基盤としてジャパンサーチが広がっていってほしいし、公共図書館の皆さんにもぜひ参加してほしいと思っています。

    福島)
     ジャパンサーチへの連携は資料が固まって所蔵されている大きい機関から始めているので、学校図書館や公立図書館の方にとってジャパンサーチはまだ遠い話と思われているかもしれませんが、最終的に流通資料も含めた日本のいろいろな文化資源が搭載され資料の発見や活用が容易になることを目指されています。これに関して10月末に日本図書館情報学会で発表した時のスライドを持ってきました(スクリーンに「デジタルアーカイブ環境下での図書館機能の再定置」14のスライドが表示される)。
     現在のところ、紙の出版物をどうハンドリングするかというところに我々はほぼ注力してしまっている。それに場としての機能などをプラスして図書館を展開しています。ただ、梅林さんのおはなしにもあったように、地域資料を本当に使える状態に整備出来ているでしょうか。一点物の地域史料を想像してください、そういうものを本当にハンドリング出来ているのかということについてはもう一度考えてみてください。
     デジタルアーカイブを含めた電子書籍・データベースなどの電子リソースについても、多くの公立図書館では、予算や目の前の利用者の方の要求という要素から、なかなか手が伸びていない。ジャパンサーチのような仕組みもできるし、流通資料を電子コンテンツに寄せていったときに、新しい情報源の発見や電子リソース化により我々が日々対応していた流通資料のハンドリングを省力化することで、「ここにしかない資料と情報」に注力できます。
    今ベンダーさんが出している電子書籍のコンテンツでは運営上まだ困るところがあるのはわかりますが、その点も顧客になって中から変えていくという選択肢もあります。実際に、例えばTRC-ADEAC社のシステムについても、IIIF、DOI15、CC016といった仕組みを適用できるように、顧客の側から提案して対応してもらったりもしました。このシステムはプラットフォームなので、他のお客さんもこれらの仕組みを使おうと思えば使えるようになっています。こうやって、実際に顧客となって働きかけることで、他の機関さんにも使えるシステムのとば口を開くことができました。これは外からの働き掛けでは難しいので、客もしくは利用者として参加することが大事だということだと思います。 ここで、梅林さんから、今までの話を聞いて「声の届かせ方」と「図書館の使命」という2点について、まとめに替えてご発言いただければと思います。

    梅林)
     ユーザーをもう少し信頼してほしい、というのがあります。我々ユーザーはなにも法に触れることをするつもりはないんです。500年前の資料、それも原本ではないものを、自分の調査・研究・興味・関心のためにデジタルで持ち帰りたいのです。なぜデジタルかと言えば、単純に今はそれが一番使いやすいという理由です。簡単なこと言えば、図書館のコピー機についているスキャナ機能を開放すればいいんです。デジタルアーカイブを作るのが大変なことがあるかもしれません。だったら、ユーザーが各自でデジタルアーカイブを作れるような原資を与えていただきたい。そのために、複合機のスキャナ機能を今日から解放していただければいいと思います。

    福島)
     具体的にはそういうところかもしれませんね。これは象徴的な話で、デジタルで情報をやり取りするということに関しては、図書館が一番遅れていると思っていただいて結構です。極端なことを言ったと思われるかもしれませんが、実際に若い世代を見ていると本当にすぐデジタル環境を使いこなします。我々が一番遅れています。改善のきっかけをお互いで作っていくことが重要だと思います。
     最後に、Libraryの機能について。サービスを拡充するということに焦点があたっていますが、我々は自分が責任を持つべきコンテンツを本当に扱えているのか、という点を梅林さんの叫びを受けて考えたい。場としての図書館は大事ですが、情報の集約・知識の提供がなければさすがにLibraryではない。本棚を維持して司書を雇い続けることはかなりの負担です。ならば本気で電子リソースのハンドリングを考えて、その後で地域社会との結びつきを考えればいいのではないか、と考えています。次の図書館像を考える中で、梅林さんの提起もまた伺えればと思っています。
     2年後ぐらいにまた状況が変わっているという報告会ができるといいと思います。それではお時間ですのでこれで終了させていただきます。どうもありがとうございました。

    司会:
    講師の皆さん、ありがとうございました。今日のフォーラムの副タイトルは「図書館の底力への期待」ということでしたが、参加者の皆さんも日々の仕事について、ヒントを得ることができたかと思います。
     今日のおはなしの中でもダウンロードについての言及がありましたが、ADEACもオープン化が進み、資料をお持ちの皆さんのご希望によりダウンロードが可能になっています。みなさんと日々の仕事の中でいっしょによりよいデジタルアーカイブを作っていければと思います。
     改めてお二人に更なる拍手をお願いします。本日はどうもありがとうございました。

    注(数字をクリックすると本文中の注記箇所に戻ります):
    1. https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/ModernKyoto/
    2. PhotoshopとIllustratorはともに米Adobe社が提供する画像編集ソフト。それぞれ「ビットマップ画像」「ベクター画像」という異なる方式で画像を表現するので、得意分野が異なる。Photoshopが写真の編集・加工に適しているのに対し、Illustratorはイラストやロゴの作成に適している
    3. 報告書は以下に掲載 http://archivesj.net/summit2017top/
    4. https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/
    5. International Image Interoperability Frameworkの略。デジタルアーカイブにおける画像の公開・共有のための国際的な枠組み
    6. 著作権者による権利放棄、または保護期間の終了によりだれでも自由に利用できるようになった著作物
    7. オープンデータの公開度を5段階で表す評価方法 https://5stardata.info/ja/
    8. http://hyakugo.kyoto.jp/
    9. オンラインの写真共有サービス
    10. https://tsuyamalib.tvt.ne.jp/other/flickr.html
    11. https://www.city.yonago.lg.jp/10854.htm
    12. https://bird.bukkyo-u.ac.jp/collections/
    13. https://www.kyoto-arc.or.jp/
    14. http://jslis.jp/wp-content/uploads/2019/10/JSLIS_20191020_Symposium_slide_1.pdf
    15. Digital Object Identifierの略。インターネット上のコンテンツへの恒久的なアクセスを保証する識別子
    16. 著作権者が作品を公開する際に意思表示をするためのツールであるクリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CCライセンス)の一種。CC0はその作品に対して「著作権を可能な限り放棄する」ことを宣言できる
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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